食は命なり~水野南北/江守徹さんと~♪

作成日:2009年1月30日

【亞】の玉手箱時代の復刻日記からです。
『食は命なり』
江戸時代の偉大な人相見に
水野南北という人物がいる。
彼には『食は命なり』という
有名な言葉がある。
 
これは
「飲食により、人間の運命が変わる」
という意味である。
水野南北の経歴は、
それだけでも数奇な人生である。
若き日から大酒呑みで、
酒代ほしさに押し込み強盗をしでかし、
捕縛されたことが、人相見への第一歩となった。 
 
南北は牢屋の中で、
罪人たちの顔をまじまじと観察した。
その顔の特徴を把握して
娑婆に過ごす一般人の顔との違いを納得したのだ。 
 
そんな分類法で自らの顔を観察した南北は
ガックリとくる。
なんたる悪相、異相、醜い顔つきか! 
加えて罪人の特徴を全て備えていた。
 
獄を出た南北は人相見に尋ねる。
「俺の運勢や如何」
人相見は簡潔に回答する。
「あと一年の命なり」。
仰天した南北は尋ねた。
「どうしたらか助かるか」。
「坊主になれ」。
 
詳細は略す。
その後一年間、南北は麦と大豆だけで過ごす。
険難な相がなくなり、人相見は驚いた。
南北は人相の研究を始める。
風呂屋の三助をやって裸体を観察したり、
墓場の墓堀をして
死因がわかっている死体を観察した。
 
この後の南北は学究の徒と化していく。
神道や仏教から始まり、
儒教、史書、易まで網羅する。
南北の名である南と北は、火と水であり、
陰陽、すなわち「易」である。
 
そんなとき、断食をしていた彼に天啓が訪れる。
「そうだ、食だ!」。
断食のさなか、
自分が急激に変化する様が手に取るように分かる。
 
『食は命なり』、南北は喝破した。
 
閑話休題。
 
わたしは、40年近くの間、
毎年1回、一週間程度の断食を行うが、
それとは別に、週末断食とか1日断食も、
年に数回行っている。
 
週末の1日だけ、
水を2~3L飲む以外、何も食べない。
それだけで体が軽くなり、
頭が冴え(ホンマかいな?)
元気が体の中から湧いてくる。
 
もちろん、勘も研ぎ澄まされる。
というと、修行と間違えられそうなのだが、
わたしにとっては身体の大掃除であり、
暴飲暴食の「罪滅ぼし」であり、
はたまた「道楽」でもある。
 
長期にわたる断食は
専門家の管理の下に行わないと危険なため、
友人達にはもっぱら
週末あるいは1日断食をすすめている。
これなら素人でもさして危険はないからだ。
かくいう私もその昔は、
長期の断食だけは断食道場でやったものだ。
1週間の断食を自宅で行うようになったのは、
ここ18年くらいである。
 
そういえば数年前に
インドで、当時64才の男性が
医療チームの監視の下で、
411日間の断食を行ったというニュースを聞いた。
(ホンマかいな?)
煮沸した水以外は口にせず、
その間、普通の生活を送り山登りも行ったという。
男性はその年の6月上旬に米国に招かれた。
「火星への有人飛行」の道を開く鍵が、
水と太陽の光だけで生き延びる断食にあるのでは、
という生態調査に寄与するためであった。
渡米以来、3か月を超える断食を
続けていたとあのころ聞いたが、
その後はどうなったんだろうか。
断食は人間の生存本能を呼び覚ます
一つの方法であろうか。
 
『食は命なり』の食は、
「正食」と「断食」で
表裏一体なのだと、わたしは考えている。

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