窮すれば通ず2.~日経eブック『江守徹の朗読で楽しむ易経入門』第3弾より

作成日:2009年5月3日

原稿がちっとも進まない~~~~(--;;
すぐに眠くなる~~~~~
そのまま寝てる~~~~~(汗!)
~~~~~~~~~
昨日から日経オーディオブック第4弾の原稿を書いています。
『風地観』と『火風鼎』
「観る力」&「聴く力」がテーマです。
“兆し”と“萌し”の違い、
“萌し”は、芽が出る―目でみえる。
“兆し”は、目に見えない、ヒビキ(響)のようなもの、洞察力で観る。
洞察力とは、「直感」でなく「直観」で観る。
“聞く”と“聴く”――声無き声を聴く。
“兆し”は『観(かん)じる』――“観る力”が無いと観えない。
“観る力”&“聴く力”にかかっています。
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       ☆
窮すれば通ず2.
(日経eブック『江守徹の朗読で楽しむ易経入門』第3弾より)
  朗読 江守徹  解説 竹村亞希子
窮すれば通ず1. の続きです。
習坎は、苦しみに習うことを教える卦で、
「水に習え、水のように生きなさい」。
と、アドバイスを発しています。
NA(ナレーション):
それでは【習坎】を細かく見ていきましょう。

江守朗読:
習坎(しゅうかん)は、孚(まこと)あり。

亞:
本来の卦の名前は【坎為水(かんいすい)】ですが、
古くから【習坎(しゅうかん)】と呼ばれるようになったのは、
この言葉「習坎は、孚あり」が元です。
習坎の習は学習の習という字で、ものごとに習うという意味です。
「坎」には穴ぼこ、落とし穴だけではなく、水という意味もあります。
ですから【習坎】は「坎に習う、つまり水に習う」ということになります。
習(しゅう)という文字は象形文字で、羽の下に「臼(うす)」と書きます。
古代において天を祭るときに、祝詞(のりと)を容れた臼の上で、
鳥の羽を何度もこすり合わせて祈った様子をあらわしています。
ここから、「習」には習うのほかに、繰り返す、という意味もあります。
【習坎】の「坎」は水で、表す意味は険難、困難、苦難、
そしてそれらを乗り越えるための、打算のない誠実さです。
孚ありの「孚」は誠心誠意、嘘偽りのない気持ちです。
約束事、信ずる心、信念という意味も持っています。
どんなに苦しくても自暴自棄にならず、誠心誠意をもって対処する。
それが「孚(まこと)あり」の意味です。
江守朗読:
維(こ)れ心亨(とお)る。

亞:
この苦しみを脱する時が必ず来ると信じ、
苦難と真っすぐに向き合って耐え続けたなら、
そのまごころと信念によって、乗り越えられる
といいます。
江守朗読:
行けば、尚(たっと)ばるることあり。

亞:
そのように、険難の時も進んで行く。
困難を乗り越えながら、むしろ逆に、積極的に困難から学ぶことによって、
尊ばれるような大いなる実りがあるだろうと言います。
そしてさらに、困難から学んだ学習効果によって、
この先待ち受ける新たな困難をも乗り越えることができると教えています。
              続く
★日経オーディオブック
「江守徹の朗読で楽しむ易経入門~解説:竹村亞希子」
第3弾『窮すれば通ず』が好評です~♪(^^v
※i-podでお聴きになれます。
a易経入門Part3入稿データ2.JPG
09.11月、上記収録中の江守徹さんと【亞】
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