5日分の易経一日一言

作成日:2010年5月1日

5月は事務所に5日間しか出られません。
名古屋にほとんど居ないことになりそうです。
明朝が早いのと、これから夕食、明日からの準備と時間が無い…
5日分の易経一日一言です。
5月1日 積善の家には必ず余慶あり
積善の家には必ず余慶あり。積不善の家には必ず余殃あり。(文言伝)
この言葉は「善を積む家には子々孫々の後まで喜びがあり、不善を積む家には後世まで災禍がある」という因果応報の意味で使われるが、本来は、日々小さな善を積んでいけば必ず慶びに行き着き、日々不善を積んでいれば必ず禍に行き着くという意味。
 何事も積み重ねていくと層が厚くなる。だからこそ、何を積んでいくのか、層の薄いうちに細心の注意を払わなくてはならないという教えである。
5月2日 小さな善を積む
善も積まざればもって名を成すに足らず。悪も積まざればもって身を滅ぼすに足らず。
(?辞下伝)
 善行を少し積んだだけでは名誉は得られない。小さな善を日々継続して積み重ねた結果が大きな善行となり、名誉を得ることができる。
 悪行が身を滅ぼすに至るのも同様で、小さな悪が積もり積もって、挙げ句の果てに、大悪となるのである。
5月3日 口実を求める
頤(い)を観て自ら口実を求む。(山雷頤)
 何によって身を立てるかを決めて、自ら自分を養うものを求める。
 山雷頤の「頤」は「おとがい」で、口、顎、養う、などの意。自分の肉体や心、あるいは人を養うという意味も含まれる。
「自ら口実を求む」とは、まず自分自身の生活を養うこと。また、自分が何を修養すべきかを自身で求めていくこと。
「養う」ことの基本は人を当てにしないこと。自分自身を養えずに人を養うことなどできはしない。
5月4日 行を果たし徳を育う
山下に出泉あるは蒙なり。君子もって行を果たし徳を育う。(山水蒙)
 山水蒙は啓蒙を説く卦。「行」は流れ進むこと。
 山から出たばかりの湧き水は、最初はか細く弱いが、他の多くの流れを受け入れ、合流してはまた流れ、やがて大きな川へと成長し、開かれた大海へと流れ込む。      
 同じように、早成を焦らずにあらゆる物事を自分に取り入れながら、学び進んでいけば、次第に蒙は啓かれ、徳は育成される。
5月5日 軽挙妄動は失敗のもと
鹿(しか)に即くに虞(ぐ)なく、ただ林中に入る。(水雷屯)
 鹿を追い、狩猟の道案内人(虞)もなく、軽々しく林に入れば迷ってしまう。
鹿は利益を意味し、利に迷うことの喩え。
 利益だけを目当てに儲け話に軽率に乗るのは、林の中で迷うようなもので、決して利益は得られない。
 つまり、自分の知らない分野でうまく利益を得ようなどと思っても得られるものではない、という教えになっている。

関連記事