★危機に備える~8/24 易経一日一言
「 凶となった状況を転じるには? 」 復刻日記
★ 吉と凶の分かれ目 ★
~吉・凶・悔・吝・咎なし~易経より
☆ 易経が教える兆し ☆
【一度、凶となった状況を転じるには、どうしたらいいのでしょうか】
易経には、吉・凶・悔(かい)・吝(りん)という、
良し悪しを判断する言葉があります。
正直いってこの説明はわかり辛いので、
表現方法に悩みました。
でも熟慮の結果、そのままの方が良いと思い
ストレートにお伝えします。
「吉」は良し。「凶」は悪い。
「悔」は吉→福(幸い)の兆し、
「吝」は凶→禍(災い)の兆しです。
「悔」は失敗に気づいて、後悔して改め、
「吝」は失敗に気づいても、改めることをケチります。
悔と吝を比べると「悔」は凶よりも吉に近く、
「吝」は吉よりも凶に近い。
★ 吉凶の分かれ目が悔・吝にある。
凶となる兆しが「吝」であり、
凶を吉に転ずる兆しが「悔」です。
吉凶悔吝は、人の心と行動の循環を表しています。
凶→悔→吉→吝→凶→悔→吉
「凶」~ 失敗して気づき、
「悔」~ 気づいて後悔し、過ちを改めれば吉になる。
「吉」~ 吉になると人はつい油断して、
楽しみを貪るようになる。
「吝」~ 知らず知らずのうちに奢りが出て、
注意信号が点滅してもナメてかかり、過ちを改めるのを惜しみ、
ぐずぐずとしている内に悪い方向へ向かい、凶となる。
「凶」~ 凶になって初めて悔い改める、という巡りです。
吝嗇(りんしょく)は、
“ひどくケチでしみったれ”の意味ですが、
易経でいう「吝」とは過ちを改めることを
出し惜しんで、優柔不断に陥る意。
「悔」と同じように、失敗したと気づくが、
“このくらい、大したことじゃない”とナメてかかり、
改めることをケチり、事実を認めようとしません。
状況が「凶」に向かい、バッシングされても自分の非を認めず、
周りや他人のせいにします。
嘘をつき通してでも、逃れようとして、
ますます悪い方向へ進んでいきます。
人は事の重大さに、自らが恐れ震えなければ、
後悔をしないものです。
次は、この恐れ震える→
感受性が如何に大切であるかを、説明します。
続く
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