生々流転~帝王学の書~12月28日と29日の易経一日一言

作成日:2010年12月29日

12月28日の一日一言に間違えて29日分をUPしてました!
改めて書き直しておきます。
(拙著の順番を間違えただけなので、問題はありません)
~帝王学の書~12月28日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆生々流転☆
否(ひ)終われば傾く、なんぞ長かるべけんや。
               (天地否)

人災によって来る無道の乱世、暗黒の時代である「否」も、
ずっと長く続くわけではない。
生々流転してひとときも止まらないのが自然の摂理である。
良い時もあれば、悪い時もあるように、時は絶えず循環している。
 
それゆえに、人情の通じない絶望的な状態であっても、
状況を打開しようという力が必ず生じ、
否の時代は必ず泰平の時代に向かって回復していくのである。
~帝王学の書~12月29日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆致(ち)を一(いつ)にして慮(りょ)を百にす☆
天下帰(き)を同じくして塗(みち)を殊(こと)にし、
致(ち)を一(いつ)にして慮(りょ)を百にす。
                (?辞下伝)

「塗(みち)」は途、帰途。
天下のことは帰するところは同じであるが、
人は殊更(ことさら)にそれぞれの道を行き、あれこれと苦慮している。
 
人の人生も道は幾通りもある。
しかし、どんな境遇を経ても至るところは一つであると考えれば、
何を思い煩うことがあるだろう。
いたずらに思い煩えば、遠回りになり、また道を外し迷ってしまう。
自然の成り行きに則した道を進むことが一番である。
/やってます~♪
★「江守徹の朗読で楽しむ易経入門」
 第4弾『兆しを観る~風地観・火風鼎』
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 「見る」は目に見えるモノを見る。
 「観る」は、心の目で観る。
  洞察力で観る、の意。

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