今日から15日まで五竜とおみスキーへ。
先週の野沢温泉とはまた違った昔からの仲間です。
帰宅した翌日には九州の別府・鉄輪温泉で講演です。
今日の易経一日一言は3日分です。
~帝王学の書~2月13日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆自然体☆
无妄(むぼう)は元(おお)いに亨(とお)り
貞(ただ)しきに利(よ)ろし。
それ正にあらざるときは?(わざわい)あり。
(天雷无妄)
「无妄(むぼう)」の「无(む)」は「無」の古字。
「妄」は妄(みだ)り、望み。
つまり、妄りでなく、また望みも欲もない。
そこから「无妄」には自然体・無作為、流れのままという意味がある。
人為的なことはすべて「?(わざわい)」禍であり、
それは「无妄の正」にあたらない。
天雷无妄(てんらいむぼう)の卦(か)が教えているのは、
よけいなことをしなくても、人間は自然に養われるということである。
~帝王学の書~2月14日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆人欲を省く☆
无妄(むぼう)の往くはいずくにか之かん。
天命祐(たす)けず、行かんや。
(天雷无妄)
「天命祐けず、行かんや」とは、
人間はすでに無為の自然に養われているから、
无妄(自然な流れ)を外れて人欲に走っても天は助けない、という意味。
自然に則して生きるとは、自分の願望を追うことでない。
人間は何かしなければ生きていけないと思っているが、
むしろ、ほとんどの望みや欲を省くことで、
最も大切なことを得ると説いているのである。
~帝王学の書~2月15日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆教思無窮(きょうしむきゅう)☆
君子もって教思(きょうし)すること窮まりなく、
民を容れ保んずること疆(かぎ)りなし。
(地澤臨)
「教思無窮(きょうしむきゅう)」とは、上の者が下の者を養い育てること。「教思」は教え導き、深く思いやる。
「無窮」は限りなく受け入れ導く。
人を育てるには、これだけ教えればいいだろう、
これだけ思いやればいいだろうと限界を決めずに、
度量深く受け容れ、繰り返し教え高めなくてはならない、と教えている。
地澤臨(ちたくりん)の「臨」は臨む、高いところから低いところをみること。
☆『40歳からの仕事術 II』さんの日記で
易経&経営のバーチャルな対談を今年も再スタートしました。
★「江守徹の朗読で楽しむ易経入門」
第4弾『兆しを観る~風地観・火風鼎』
「見る」は目に見えるモノを見る。
「観る」は、心の目で観る。
洞察力で観る、の意。