時流に乗るな!時流を追いかけるな/優れたリーダーの条件~帝王学の書~8月17日の易経一日一言

作成日:2011年8月22日

今日は事務所へ、事務の日。
午前中は久し振りに囲碁のお稽古です。
「昔、我が家に仙人がいた」 復刻日記
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       ☆
 【 時流に乗るな! 時流を追いかけるな 】
☆ 時流と時中は正反対 ☆
「時中(じちゅう)」は、易経によく出てくる言葉です。
「時中」と「兆し」
春に種を蒔けば秋に実るけれど
冬に種を蒔いても実らない。
当たり前でしょ、って言われそうです。
でも日常生活の中で
冬に種を蒔いてはいないでしょうか?
春に種を蒔く、冬は蒔かない。
これが時中です。
「時中」ーじちゅう、と読みます。
時に中(ちゅう)する。
時に中(あた)る。
どちらの読み方でも構いません。
時に中すれば
六十四卦それぞれの徳が、全て実現するのです。
卦徳が実現すれば、物事が通じていきます。
時中であるという 兆しを観るには
  観る目を要します。
 ※「見る」は目に見えるモノを見る。
  「観る」は見えないモノを観る、心の目で観る、洞察力で観る、の意。
繋辞伝の中に
  「幾を知るはそれ神(しん)か」
ということばが出てきますが
幾(機も)を見ることは神業に等しい
それと同時にリーダー、人の上に立つ者は
この 「機を観る力」が必要だと
書かれているのです。
 ※「幾」の字の成り立ちは、
  絲(細い糸、わずか)+戈(ほこ)+人
  人の首に、戈の刃がもう少しで届きそうな様子を表し、
  もう少し、近い、時、機微などの意味。
 ※「機」の字の成り立ちは、
  木+幾(ごくわずか)
  もとは織機の間に挟まって仕掛けを動かす小さな木の棒。
  「機」仕掛けの鍵、時、秘密、大切なものごと、
  「機」は精巧な仕組みの大事な「つぼ」とか「勘どころ」。
  (機密・枢機)
では、この「機」はどうしたら
観ることが出来るのでしょうか。
易経には、 易経を読めば
機を観られるようになると書かれています。
その「機」はどのように観るか。
目に見えるわけではないし
耳に聞こえてくる訳ではないのです。
しかし、見えないものを観る目、
音にならないものを聴く耳です。
それがないと、機は観られないのです。
この兆しを観ることが
霊能力だとか超能力のように
思われがちですが、それは違います。
そういった世界には、興味がないし
また、わからないので、発言は控えますが。
話を戻します。
時に合えば(時に中すれば)
ピタッピタッと物事が合ってきます。
時とは
最も難しいものです。
「時中(じちゅう)」とは
“時に中(あた)る”ことです。
その時にピッタリのことを
行うということです。
“ピッタリ”というと
「時流に乗る」ように聞こえますが
全く違って、正反対です。
易経では逆に
時流には乗ってはならない
時流を追いかけるなと
教えています。
一つひとつの卦を通して
物事の本質を学んでいけば
「時中」というものが
観えてくると説いています。
自分の事になると
また見えなくなるのですが
易を学んでいると
客観的に見えてくると。
それをせずに
時流を追いかければ
時の中心に
身をおいている錯覚とともに
流れに巻き込まれて
物事の本質を
次第に見失っていくと。
見失うとどうなるかも
書かれています。
いかにも、うまそうな話がくると
「これは渡りに船だ」と
時中ではないのに飛びつきます。
冬に種を蒔く行為です。
そして、大失敗します。
       ☆
~帝王学の書~8月17日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆優れたリーダーの条件☆
群龍(ぐんりゅう)首(かしら)なきを見る。
吉なり。
             (乾為天)

群がる龍の頭は雲に隠れている。
つまり、優れたリーダーは自己主張がなく、
圧力をかけず、トップ争いをしないという意味である。
リーダーがリーダーたりえるのは、
力や威厳があり、人々の頂点にいるからではない。
その働きが大義に従うものだからである。
それを勘違いして権力を争うようでは、やがて失墜する。
働く人々が圧力を感じず、治められているという意識さえ持たずに、
各々の力を発揮して繁栄するよう導くことが大切である。
『易経一日一言』(致知出版社)
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