人生万事塞翁が馬~尺取り虫の喩え/ボロ布で船底の穴をふさぐ~帝王学の書~8月25日の易経一日一言

作成日:2011年8月29日

よく訊かれる質問がある。
運が強い人と弱い人は、どこでその差が生じるのかと。
 
そんな時は「人生万事塞翁(さいおう)が馬」
という中国の故事を話すようにしている。
人生万事塞翁が馬  復刻版
 
占いの得意な翁(おきな=お年寄りのこと)が、
国境の塞(とりで)の近くに住んでいた。
ある日、翁の馬が逃げ出してしまった。
周りの人々が「運が悪かったですね」と、
なぐさめると翁は
「いや、このことが却って、
 福(さいわい)になるかもしれない」と言った。
 
数ヶ月後、逃げた馬がもどってきた。
さらに、別の名馬も一緒に連れて帰ってきた。
周りの人々が「幸運ですね」と、
お祝いにいくと翁は
「いや、このことが却って、
 禍(わざわ)いになるかもしれない」と言った。
 
そしてある日、翁の息子がその名馬から落馬して、
股(もも)を骨折する重傷を負った。
周りの人々が
「運が悪かったですね」と、
お見舞いにいくと翁は
「いや、このことが、福となるかもしれない」と言った。
 
1年後に戦争が起きたが、
村の若者の10人のうち9人までもが死んでしまった。
ところが、息子は落馬の事故のため、
兵役に出ず無事だった。
 
人生では、禍いがいつ福のもとになるか分らず、
また福がいつ禍いのもとになるかもしれない。
吉凶禍福の変転は計り知れず、禍いも悲しむことなく、
福も喜ぶにたりないことを教えている。
 
世の多くの人たちは、
うまくいっているとツイている、
何か食い違いが生じるとツイていないと
言っては一喜一憂する。
ツイていると感じたら
「自分は運が強いんだ」と思い込む。
思い込むと次の幸運、つまりツキを期待する。
手違いがあると、自分のミスでなく、
ツイてなかったせいにする。
 
「思いがけない幸運」のことを
僥倖(ぎょうこう)というのだが、
この僥倖に期待するようになると、最悪である。
なにしろ努力しないで
出世する方法みたいなものだから、ただ待つだけ。
待ちぼうけである。
待っていてもツキが回ってこないと
「自分は運に恵まれないんだ」と
気落ちすることになる。
 
ツイていなければ
「これは、天からの何かの信号だ」と
考えるようにしよう。
自分の頭で考えて、
進むべきか退くべきかを決めるようにしよう。
そうすれば、ツイてなかったことまでが、
次のツキを呼ぶ種になる
に違いない。
 
そのときは運が悪いと思っても
いつかその苦労が役に立つ。
 
何の問題も抱えずに若い時期を通り過ぎてしまうのと
いろんな苦労はしても
人生を生き抜いていくコツを掴むのとは
どっちが運が強いのか。
もちろん、後者である。
 
若さとは、不安と同義でもあるが
不安になったら、身をかがめればいい。
 
尺取り虫が、体を伸ばした後、
グッと縮めて次に体を伸ばして前進する。
伸ばすための縮み

伸縮は、この二つの言葉が重なって成立している。
 
この尺取り虫の話は、わたしの創作ではない。
『易経』に、ちゃんと書かれている。
 
「尺蠖(せきわく)の屈するは、
 もって信(の)びんことを求むるなり」
尺蠖とは尺取り虫の意である。
尺取り虫が身を縮めるのは
身を縮めて力を蓄え、次に伸びるためである。
 
運のいい、悪いと、この尺取り虫の話は
ピタリと符合するのである。
       ☆
~帝王学の書~8月25日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆ボロ布で船底の穴をふさぐ☆
繻(ぬ)るるとき衣?(いじょ)あり。 終日戒む。
             (水火既済)

水火既済(すいかきさい)の「既済」は
既に川を渡り終えたという意味で、大業を成したことの喩え。
 
川を渡るのに用いた舟は古くなり、舟底に穴が空いて浸水してくる。
そこで「繻(ぬ)るるとき衣?(いじょ)あり」
ぼろ布を使って穴をふさぎ、終日警戒しなければならない。
 
本来、大業を成した後は守成に勤め、止まるべき時である。
そうせずに、さらに大業を成そうとすれば、
必ず物事に破れが生じるという戒めである。
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『易経一日一言』(致知出版社)
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