サン・ジョルディの日~日本導入顛末記・前編 (2)

作成日:2012年4月17日

 

サン・ジョルディの日~日本導入顛末記

 ※十数年前、新聞に連載したエッセイを加筆修正したものです。

 

 

 2012年日本で27年目!

全国各地のイベントは4月21・22日の(土日)に開催されます。

 たとえば名古屋では ↓

 サン・ジョルディフェスティバル名古屋2012

 

4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る~

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1.夢のイベント
思い出というのは、誰にでも必ず一つや二つはあるものだ。
わたしの場合は、季節と重なって毎年思い出すことがある。
 
桜が咲き、葉桜となった頃、
つまり4月になると決まってある出来事を思い出す。
 
女性が愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る
「サン・ジョルディの日」が、この時期にある。
 
海外の習慣を日本に取り入れ、それが根付いたものには、
クリスマスイブとバレンタインディがあり、
それにこのサン・ジョルディがあげられよう。
 
サン・ジョルディが日本で始まって2012年で27年になる。

27年か・・・

わたしも老けるはずだ。  

何を隠そう、このサン・ジョルディという祭りが
スペインのカタルニア地方に昔から盛大に行われていることを知り、
そのお祭りを日本に持ち込みたいと、
大それたことを考えついた最初の日本人が、実はわたしなのである。
ウソみたいな話だが、本当だ。
あれは、1984年の暮れ。
わたしが現在の場所に事務所を構えて5~6年目だった…。

 友人から「スペインのカタルニア地方に伝わるお祭りで、
男は女に薔薇の花を贈り、女は男に本を贈る習慣があるらしい」という、
なんともたよりない話を聞いたことがキッカケだった。
 
わ、面白そう。
 
マジな話、あのころわたしはこう呟いた。
呟いて、よし、日本にこの習慣を持ち込もう。
そう思いついた。
白状すると、どうして結びついたのか自分自身分からない。
いまでも理由が見つからない。
 
天啓。
それとも神託だったのだろうか。
ともあれわたしはすぐに行動を起こした。

 
2.やると決めたら、まず調査。そして速攻
サン・ジョルディの日。
スペインのカタルニヤ地方に伝わる古いお祭りで、
男性は愛する女性に青い麦の穂を添えて赤い薔薇を贈り、
女性は愛する男性に本を贈る習慣である。

 

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それを聞いて「バレンタインディよりも素敵!
日本に持ってこよう」と、単純に思いついた。
 
単純な思いつきだったが、そのあと、ちょっと待てよ…
この祭りは本当に存在するのかしら?
それから数日、図書館に入り浸った。
 
しかし、困った。
スペインやカタルニヤに関する著書や資料をいくら漁っても、
サン・ジョルディに関しては、何も出てこない。
 
最後の手段としてスペイン大使館に連絡をとってみた。
なんと、大使館員ですら「そんなお祭りは、知らない」と答える始末。
これには呆然とした。
 
でも、諦めなかった。
年が改まった1985年、バルセロナに住んでいる
遠い遠い知人のことを思い出して、国際電話を入れた。
いまのわたしなら、メールを利用するのだが、
当時はインターネットなんてなかったから
KDDを利用するしかなかったのだ。

 

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 「あるよ。毎年、4月23日にバルセロナ地方で行われている」と
その知人はこともなげに答えた。
 
え、4月!
 
このとき、1985年1月である。
なんと三ヶ月後ではないか。
 
それを聞いたとたん、「じゃ、見に行かなきゃ」と考えた。
 
バルセロナは次のオリンピック開催地に立候補していた。
筮竹で占ったらバルセロナに決まると、出た。
バルセロナが、開催地に決定してからでは遅い。
利権をもとめる不逞の輩とみなされかねない。
それを危惧した。

 

3.ヒラメキの神様が乗り移っていた
三ヶ月後にバルセロナでサンジョルディの祝祭が行われる。
となると、時間がない。
人生も幸運の女神の後ろ髪も、人間が思っている以上に短いものだ。
 
まず、バルセロナが五輪開催地となるかどうかを易を立てた。

「決まる」と出た。  

次に、日本でのサンジョルディの祝祭が実現するかを占った。

「実現する」と出た。よし!

  
本で初めて知った、スペインに詳しいつくば大の大学教授に
電話をかけて相談した。
その女性の教授は「それは素晴らしい。ぜひ実現させましょう」と
協力を約束してくれた。
 
実現させるためには、日本とカタルーニャとの
「友好親善協会」が必要だと気づき、我が事務所に
「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会」なるものを設置した。
会員は私と女性教授の二人だけ。
悪くいえば完全なでっち上げである。
 
準備委員会として今年の祝祭の正式な“現地視察”に出かけるためには、
カタルーニャ政府から我が準備委宛の「インビテーション(招待状)」がいる。
ならば、今年の祝祭の前に現地に行って交渉しなければ…
そうだ、すぐにもスペインへ飛ぼう!
 
この思いは天啓であった。
はっきり言って、私はこういった「呼び屋稼業」には不慣れである。
いや、無知だと言ったほうが正鵠を射ている。
 
しかし、このときの私は冴えていた。 
ヒラメキの神様が乗り移っていた。
いま振り返っても不思議なのだが、
こうした発想が次々と自然に浮かんできた。
これを潜在能力と呼ぶのか、神がかりと呼ぶのかは
読者諸兄にお任せすることにして。

 

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とりあえず現地に飛んで交渉してこようと決めた。
しかし、肩書きなしではとても信用してもらえないだろう。
そう考えて「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会・委員長」及び、
エッセイストの肩書きを刷り込んだ名刺を用意して、スペインへ飛んだ。
 
実は、私にとってこれが初めての海外旅行だった。

 

 

 4.ツキの女神に感謝!
スペインに飛ぶ2週間ほど前に、
日本で最大手の広告代理店・電通にこの話を持ち込んだ。
翌年の4月に日本でサンジョルディの祝祭を実現させるためには、
広告代理店が必要だと気づいたからである。
だが相手にされず、一笑にふされてしまった。

 
でも、へこたれなかった。
当時イベントを通じて知り合った名古屋の広告代理店・新東通信の社員が

社長の谷氏に打診したら反応があったので、直接会いに行った。

谷社長は「面白い!!」と大乗り気だったが、

「ただし、今はまだ約束は出来ない。

 竹村さんがスペイン側と実際に話をつけてきたら、

 必ず話に乗る。すべてはそれからだ」

 

 でもこれで、友好親善協会の会員が3名になった!

 

これに勇気を得て 「協会準備委委員長」とエッセイストの肩書の名刺を持ち、

私にとって初めての海外旅行であるスペインへ旅立った。  

 

どうやらツキの女神がついていてくれたようだ。  

 スペイン在住の知人と役所に日参する毎日が続いた。

徒労に終わりそうになり焦りが出始めた入国後の5日目、

偶然、カタルニア州政府首相秘書官に会うことができた。  

 

 

首相秘書官は私の話を聞くや

「日本でのサンジョルディの日を是非とも実現させましょう。  

2ヵ月後のわが国のサンジョルディの日に是非ともいらしてください」 と言ってくれた。

 これでスペインに足を運んだ成果を得たわけだが、 まだ大切なことがあった。

 

「ありがとうございます。では協会として、
 今年4月23日に再びスペインにやってきます。
 そのとき、首相に会わせてください」
と、臆することなく要求したら受け入れられた。

 

小説みたいな話だが、事実はまさに小説よりも奇なり、
いま当時を振り返っても信じられないほどだ。

  しかしこれで終わったわけではない。
ようやくスタート地点に立っただけである。

 

 
帰国後、準備委員会から晴れて「日本カタルニア友好親善協会」となり、
4月23日の数日前に再びスペインに向かった。

 

バルセロナに到着後、当時の谷社長と。

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カタルニア政府からのインビテーション(招待状)を手に、
私とT社長、そしてスペイン語が堪能な社員の三人が、
友好親善協会の幹部としてサンジョルディの日の現地視察である…。

 

 

 サン・ジョルディの日~日本導入顛末記・後編

 『天才的 「詐欺師」!?!』     へ続く

 

 

 

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