器量と度量~エネルギーと集中力~覚悟と決意~『超訳 易経』

作成日:2012年10月20日

大地は雨がどれだけ降ろうが嵐がこようが、
美しいもの、みにくいものを選ばず、いやがらず、一切合切を受け容れます。
器量と度量では器量が陽で度量が陰です。
器量はその地位に見合った才覚をいい、度量は、自分のことを良く言う者だけでなく、
悪く批判する者に対しても同じように受け容れる能力をいいます。
限りなく受け容れて、従い、生み、育てることは、発するだけの陽にはできません。
つまりそれが、陰の強みであり、陰の立場にある者が得る喜びだといっています。
人の厚みというのは、受け容れ、従うことで地層が積み重なるように、着実に厚みを増していきます。そうやって築いた土壌には栄養がたっぷりと蓄えられ、
あらゆるものごとを生みだし、育て、形にして実現していくことができます。
そこには不自由さも窮屈さもない、限りなく広大な可能性を秘めていると教えています。
そのためには、少し受け容れて、従っているように装うというような
中途半端に片足を突っ込むくらいでは、ただの徒労に終わってしまう。
自ら時に趣いて、徹底的に従うことが大切なのだと教えています。
ものごとが通じない時に打破しようとアクションを起こす、
つまり陽を用いて単にバランスをとるのは、
決して適切な対処ではないということです。
なにか行動を起こすことで多少、気は休まるかもしれませんが、
それでは根本の解決にはならず、無駄なエネルギーを消耗するだけです。
めざましく成長していく陽の時代がなぜやってくるのかというと、
陰の時代を経ることで、膨大な力が蓄えられ、
その結果、自然に陽を生じさせるからだと易経は教えています。
陰が窮まれば陽に転じます。
陰の時代から陽の時代への一番の近道は、
積極的に陰の力を用いることで、陰を窮めていくことなのです。
易経には「中する」ということばがあります。
その時にぴったりの、という「時中」と意味は同じですが、
「中する」ということは動きがともないます。
人がその時に自ら趣(おもむ)いて、「手を入れる」という行動をいいます。
陰の時は、従い、受け入れるという陰の力を発揮することで、
自然に新たな陽の力を引き込むのです。
それが「中する」ということです。
   『超訳・易経』 第四章より
超訳・易経 カバー25s
超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント』
  本体価格861円(税込み)(角川SSC新書)
I氏がピッタリのコメントをくださったので、紹介します。
     ↓
「器量と度量、面白いです。
 全てを受け入れ尽くす時、極まって陽に転ずる。
 全てがその方向に行くようにお膳立てされてしまうのですね。
 それを自信を持って、待つだけの度量を持つ。
 それも覚悟と決意ですか。  
 全力で受け入れて何もしない。 
 凄いエネルギーと集中力のいる行為です。」

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