サン・ジョルディの日~日本導入顛末記3

作成日:2015年4月5日

『サン・ジョルディの日~日本導入顛末記』3
2015年日本で30年目!
4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る~
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続きです。
 3.ヒラメキの神様が乗り移っていた
三ヶ月後にバルセロナでサンジョルディの祝祭が行われる。
となると時間がない。
人生も幸運の女神の後ろ髪も、人間が思っている以上に短いものだ。
 
まず、バルセロナが五輪開催地となるかどうかを易で占った。
「決まる」と出た。
 
次に、日本でのサンジョルディの祝祭が実現するかを占った。
「実現する」と出た。よし!
  
本『スペインの赤いバラ』で初めて知った
筑波大学の当時助教授だった
野々山真輝帆先生に電話をかけて相談した。
その女性の教授は「それは素晴らしい。ぜひ実現させましょう」と
協力を約束してくれた。
 
実現させるためには、日本とカタルーニャとの
「友好親善協会」が必要だと気づき、我が事務所に
「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会」なるものを設置した。
会員は私と野々山教授の二人だけ。
悪くいえば完全なでっち上げである。
 
準備委員会として今年の祝祭の正式な“現地視察”に出かけるためには、
カタルーニャ政府から我が準備委宛の「招待状」がいる。
ならば、今年の祝祭の前に現地に行って交渉しなければ…
そうだ、すぐにもスペインへ飛ぼう!
 
この思いは天啓であった。
はっきり言って、私は「呼び屋稼業」には不慣れである。
いや、無知だと言ったほうが正鵠を射ている。
 
しかし、このときは冴えていた。 
ヒラメキの神様が乗り移っていた。
いま振り返っても不思議なのだが、
こうした発想が次々と自然に浮かんできた。
これを潜在能力と呼ぶのか、神がかりと呼ぶのかは
読者諸兄にお任せすることにして。
 
とりあえず現地に飛んで交渉してこようと決めた。
しかし、肩書きなしではとても信用してもらえないだろう。
そう考えて「日本カタルーニャ友好親善協会準備委員会・委員長」及び
「エッセイスト・竹村亞希子」の名刺を用意して、スペインへ飛んだ。
 
実は、私にとってこれが初めての海外旅行だった。 
       続く
【サン・ジョルディ伝説】
スペイン・カタルーニャ州に中世から伝わる物語。
サン・ジョルディは、魔物から村を守り、姫を救った勇気ある騎士。
剣を一突きで魔物を打ち倒した時に血から真赤なバラの花が咲き、
男性から愛する女性に愛の証しとして赤いバラを捧げる習慣が生まれました。
一方、女性は愛する男性に本を贈ります。
サン・ジョルディが愛と知性の象徴であるため、シェイクスピアや
文豪セルバンテスの命日が4月23日であることから
本を贈るようになったといいます。
(赤いバラに青い麦の穂を添えるのは、若い力、エネルギーを
象徴しているとともに子宝に恵まれるように・・・
という願いがこめられている、という説もあります。)

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