そう! 閉塞を打ち破る力は、いつの時代も
必ず社会の下層から出てくると易経は教えています。
↓ ↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~
吉野家の「非学歴体質」 「やんちゃ」の力が企業救う 編集委員 中村直文
2014/9/29付日本経済新聞 朝刊
吉野家ホールディングスで22年間、トップを務めた安部修仁氏(65)が8月末に取締役を外れ、経営の一線を退いた。次の経営陣には同氏を長年支えてきた役員を選ばず、自らより一回り以上若い40歳代中心の世代をそろえた。その中核となる3人の生え抜き取締役の経歴が興味深い。
ホールディングス社長で牛丼事業会社、吉野家の社長を兼務する河村泰貴氏(45)は広島県立高校が、取締役でステーキチェーン、どん社長の長岡祐樹氏(50)は大阪市立中学校が最終学歴だ。やはり取締役でうどんチェーン、はなまる社長の成瀬哲也氏(47)は中京大学中退。高卒でアルバイトから社長になった安部氏と同様、いずれも大学を出ていない。中でも長岡氏の半生は波乱に富む。
若い頃、「やんちゃ」だったという長岡氏は高校を2度中退している。1度目の中退後は北海道恵庭市で牧場に住み込みで働いたり、地元の大阪で喫茶店を運営したりした。定時制の高校に入り直したが、吉野家のアルバイトを始めると「店の運営を自由に任されるのが面白くて」再び中退。1985年に21歳で社員になった。
大阪市内の不振店を立て直し、しばしば「柄の悪い人たちから因縁をつけられていた」店のトラブル対策にも腕を振るった。熱心さが認められて複数の店を監督するスーパーバイザーに昇格したのもつかの間、自分の不注意で交通事故を起こしてしまう。解雇されてもおかしくない状況だったというが、働きぶりに感心していた当時の人事部長が吉野家にとどまれるようにとりなしてくれ、降格の形で残留した。「会社にいられないと思って就職活動もしたが、履歴書を見せると採用してくれない。恩返しをしないと」
長岡氏はその後不振店のテコ入れだけでなく、東海・北陸地域での営業時代にダメ社員の烙印(らくいん)を押された従業員の再教育なども担当。本社では人事部で業務規定の見直しのほか、台湾事業の再建などに手腕を発揮した。今ではグループの不採算事業は「長岡に任せてできなかったら、あきらめる」と安部氏に言わしめるほどだ。長岡氏は今夏から元受刑者の雇用も始めている。
河村氏も吉野家が買収したときは赤字が続いていたはなまるを立て直した実績を持つ。成瀬氏はカレーうどん専門店を立ち上げるなど、新規事業に定評がある。安部氏は「3人とも頑固で、上司の顔色をうかがわない。仕事に対する美意識があるのが共通している」と話す。安部氏が大卒の役員を敬遠しているわけではない。むしろ「普通に有名大学出身者を増やしたいと思っている。でも実力本位で役員を決めたら結果的にこうなった」。
吉野家は80年に会社更生法の適用を申請し一度は破綻したが、上場を果たした再生企業だ。その後も米国産牛肉の輸入停止など、会社の存続に関わる難局は続いた。「成功も失敗も本人が思うほど周囲は覚えていないもの」(安部氏)。経験をもとにひとや事業の再生に取り組む、新しいことにも挑戦する。逆境を生き抜いてきた吉野家にはそんなDNAが息づいている。
☆
【閉塞を打ち破る力は必ず社会の下層から】
陰の時代は小人の時代といいましたが、
リーダー不在の時代ともいえます。
陽の時代は、社会的リーダーは強い先導力をもち、大衆を引っ張っていきます。
しかし、陰の時代に近づいてくると、陽の力が弱くなり、
リーダーと大衆が同レベルになってきて、
リーダーの地位にある人がその役割をまっとうできません。
先導力を失って、利害を同じくするものが徒党を組むようになり、
迷走して守るべきものを守れない。
まさに政治不信がつのる時代でもあるわけです。
東日本大震災での国の対応の遅れは国内外から批判されましたが、
一番の問題は意志決定の遅さだといわれています。
上に立つ人が意志力、先導力を失うことが、
易経が教えている陰の時代、つまり小人の時代の特徴でもあります。
一方、大津波の被害に遭った被災地では、
地元消防団員の人たちが多くの命を救いましたが、
同時に多くの団員が犠牲になりました。
こうした民間の人たちの君子としての行動が、
たいへんな苦難の最中、人びとに大きな勇気と希望を与えたのです。
(中略)
閉塞を打ち破る力は、いつの時代も
必ず社会の下層から出てくると易経は教えています。
『超訳・易経』 第三章より
『超訳・易経 自分らしく生きるためのヒント』
増刷(3刷)感謝!
三省堂書店名古屋高島屋店の、新書・ビジネス書2部門において
平成24年5月27日、ベストセラー1位に。
よろしければ応援の↓クリック↓を~(^^)