天才的詐欺師?!~サン・ジョルディの日~日本導入顛末記・中編

作成日:2015年4月13日

『サン・ジョルディの日~日本導入顛末記・中編』
2014年日本で29年目!
4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に花を贈る~
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 ※ 『サン・ジョルディの日~日本導入顛末記・前編』
  の続きです。
 6.情報提供者を本気にさせる!
1985年2月末。
バルセロナへ飛んだ。
私の初めての外国旅行である。
本澤健太郎氏、大阪出身、バルセロナ在住。
もし彼の存在がなかったら、
日本での“サン・ジョルディの日”は
実現しなかったと、断言できる。
先ず、そもそもの情報提供者である。
その彼は、
「実現できたら面白い! いつでも来てください」
と言ったくせに、本気にしていなかった。
バルセロナに着いた私を見ても、観光に来ただけと思った。
  
本気で実現させようとしていることを 
信じてもらうのに、なんと3時間もかかった・・・
が、いったん本気だとわかった途端にその場に立ち上がり、 
「よし! 実現させよう!!」と叫んだ。
興奮して顔が真っ赤になり目がギラギラしてた。
一日目の真夜中だった。
  
  
翌朝から毎日、本澤氏の仕事(翻訳・通訳)を調整しながら
観光局、商業局、文化局、伝統文化局…と、精力的に回った。
だが、それぞれ担当者が「いい話だ」と言ってくれるだけ。
決定打がなかった。
時間が残されていない。
疲労と焦燥感が出始めた。
7.ツキの女神に感謝!首相の秘書官登場!
 
どうやらツキの女神がついていてくれたようだ。
5日目、最後に回った広報局でのこと。
たまたま通りかかったプジョール首相の秘書官が興味を見せ、 
詳しく聞きたいからと自分の部屋に案内してくれた。
10分ほど私が説明していたら秘書官の表情が変わった。
そして遠くを見るようなまなざしと沈黙の後、
じっと私を見つめて、静かに「本気なのか」と訊ねてきた。
本気だと答えたら
「素晴らしい話だ。実現に向けて全面的に協力する」と確約した。
 
首相秘書官は
「日本でのサン・ジョルディの日を必ず実現させましょう。
 2ヵ月後の4月23日当日に是非ともいらしてください」
と言ってくれた。
 
これで今回、スペインに足を運んだ成果を得たわけだが、
まだ大切なことがある。
さらに秘書官に以下の要求を出した。
1)協会にサン・ジョルディの日の招待状を正式に発行する
2)当日、協会のメンバーがプジョール首相に謁見する
3)協会の名誉顧問に首相夫人のマルタさんが着任する
  (夫人は花屋の経営者である)
これらは全て受け入れられた。
小説みたいな話だが、事実はまさに小説よりも奇なり、
いま当時を振り返っても信じられないほどだ。
 
しかしこれで終わったわけではない。
ようやくスタート地点に立っただけである。
 
帰国後、準備委員会から晴れて正式な
「日本カタルーニャ友好親善協会」となり、
4月に再びスペインに向かった。
 
カタルーニャ政府からのインビテーション(招待状)を手に、
私と谷社長、そしてスペイン語が堪能な社員、津坂さんの三人が、
友好親善協会の幹部としてサンジョルディの現地視察に旅立った…。
 8.天才的「詐欺師」!? (1985年4月)

カタルニア政府から正式のインビテーションを受けての
スペインへの訪問だったが、決してスンナリと進んだわけでない。
 
ここまでこぎつけることさえ、奇跡に近い進展があったのだから、
これから先もこれまで同様に順調に進むわけがない。
われわれ三人の旅は弥次喜多まがいの珍道中であった。
 
さて、スペイン空港に無事到着したので、、
飛行機から降りて、空港ビルに足を運んだ。
 
私は、つい二ヶ月前にスペインに入国したばかりである。
そのときが、生まれて初めての海外旅行だったとはいえ、
一応は経験者である。
余裕のある慣れた仕草で、サッサと入国検査と税関を通過した。
 
で、晴れてスペインの地に足を踏み出すまでは良かったが、
後の二人、広告代理店 新東通信の谷社長と、
スペイン語に堪能な中堅社員、津坂氏の姿が見あたらない。
 
どうしたんだろう。
ま、彼らは私と違って海外旅行に慣れているし、
社員はスペイン語が話せるのだから、心配はいらないか…。
と、脳天気に構えていた。
しかし、待てど暮らせど二人は現れない。
30分経ったので、さすがに心配になる。
今来た道すじを逆行して戻ると、
ポツンと立ちつくしている日本人の二人連れの姿が目に入った。
 
どうしたんですか。 と、彼らに尋ねた。
 
「あ、いたんだ」と谷社長は半ば泣き顔で私を見つめる。
社員の津坂さんもほっと安堵のため息をついた。
 
「オレは、ハメられたと思ったんだ。
 あの女、我々をスペインくんだりまで連れてきて姿を消した。
 はは~ん、日本から高飛びするのにオレ達を利用したな。
 どうりで…話がうますぎると思ってた。
 サンジョルディなんて、初めっからなかったんじゃないのか。
 本当はあの女はとんでもない詐欺師で…しかし、全部ウソの
 作り話にしては出来すぎてるしな…天才詐欺師か…
 もし詐欺師だったとしたら、いったい何が目的なんだろう。
 オレも焼きが回ったな…、そう思っていたんだ」

と谷社長がマジな顔で呟いた。
 
かれらの横では手荷物カウンターがクルクルと回っており、
一つだけ見慣れた旅行鞄が乗っていた。
 
あ、私のカバンだ!?
やっと状況が理解できた。
 9.プジョール首相に謁見!(1985年4月23日)
空港に到着するや手荷物も受け取らないで姿を消した女を
「もしかしたら稀代の詐欺師」だと疑ったとしても仕方がない。
 
谷社長は笑って
「ま、サンジョルディがたとえ無くても、あることにして
 日本でイベントをやるかって、話してたんだ」

と半ば本気でおそろしい事を口にする。
「ちょっと待ってよ、それこそ詐欺じゃない」と私。
誰もいない空港で、三人が大笑いした。
バルセロナで
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サンジョルディの当日、
カタルーニヤ中で赤い薔薇の花と青い麦の穂が見事に装飾され
祝祭でにぎわうバルセロナの人々は
老いも若きも本とバラを互いに交換しあっていた。
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正装したわれわれはセレモニーの後、約束どおり首相に謁見でき
花屋の経営者でもある首相夫人に日本カタルーニャ友好親善協会の
名誉顧問就任の依頼も聞き入れられた。
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日本側としては
バルセロナに友好親善協会の駐在事務所を置くことした。
ミロの親友がオーナーの店で
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さて、これからが正念場である。
とにかく翌年には「サンジョルデイの日」を
日本でスタートさせなければならない。
※別記※
謁見当日の朝、晴れ渡った青空の下で 
津坂氏のパスポート・財布・クレジットカードを
土地のスリ・イカサマ師グループに
掏(す)られるというハプニングに遭った。
  
津坂氏は1989年から1992年にかけての4年間
協会のバルセロナ出張所に単身赴任した。
現在は退社して、晴耕雨読の毎日である。
     続く
 
【サン・ジョルディ伝説】
スペイン・カタルーニャ州に中世から伝わる物語。
サン・ジョルディは、魔物から村を守り、姫を救った勇気ある騎士。
剣を一突きで魔物を打ち倒した時に血から真赤なバラの花が咲き、
男性から愛する女性に愛の証しとして赤いバラを捧げる習慣が生まれました。
一方、女性は愛する男性に本を贈ります。
サン・ジョルディが愛と知性の象徴であるため、シェイクスピアや
文豪セルバンテスの命日が4月23日であることから、
本を贈るようになったといいます。
(赤いバラに青い麦の穂を添えるのは、若い力、エネルギーを
象徴しているとともに子宝に恵まれるように・・・
という願いがこめられている、という説もあります。)

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