朗報!~4/23サンジョルディの日!天才的「詐欺師」!?!

作成日:2011年4月24日

朗報! 2011年4月23日
カタルーニャ州政府がサン・ジョルディの日を「日本への連帯の日」に!
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『サン・ジョルディの日』顛末記1~4の続きです。
※十数年前、新聞に連載したエッセイを加筆修正したものです。
 ※今日の易経一日一言は→こちら
4月23日は『サン・ジョルディの日』!
~女性は愛する男性に本を贈り、男性は愛する女性に赤い薔薇の花を贈る~
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5.天才的「詐欺師」!?!
カタルーニャ州政府から正式のインビテーションを受けての
スペインへの訪問だったが、決してスンナリと進んだわけでない。
 
ここまでこぎつけることさえ、奇跡に近い進展があったのだから、
これから先もこれまで同様に順調に進むわけがない。
われわれ三人の旅は弥次喜多まがいの珍道中であった。
 
さて、スペイン空港に無事到着したので、、
飛行機から降りて、空港ビルに足を運んだ。
 
わたしは、つい二ヶ月前にスペインに入国したばかりである。
そのときが、生まれて初めての海外旅行だったとはいえ、
一応は経験者である。
余裕のある慣れた仕草で、サッサと入国検査と税関を通過した。
 
で、晴れてスペインの地に足を踏み出すまでは良かったが、
後の二人、広告代理店S社のT社長と、
スペイン語に堪能な中堅社員の姿が見あたらない。
 
どうしたんだろう。
ま、彼らはわたしと違って海外旅行に慣れているし、
社員はスペイン語が話せるのだから、心配はいらないか…。
と、わたしは脳天気に構えていた。
しかし、待てど暮らせど二人は現れない。
30分経ったので、さすがに心配になる。
今来た道すじを逆行して戻ると、
ポツンと立ちつくしている日本人の二人連れの姿が目に入った。
 
どうしたんですか。 と、わたしは彼らに尋ねた。
 
「あ、いたんだ」と社長氏は半ば泣き顔でわたしを見つめる。
社員もほっと安堵のため息をついた。
 
「オレは、ハメられたと思ったんだ。
 あの女、我々をスペインくんだりまで連れてきて姿を消した。
 はは~ん、日本から高飛びするのにオレ達を利用したな。
 どうりで…話がうますぎると思ってた。
 サンジョルディなんて、初めっからなかったんじゃないのか。
 本当はあの女はとんでもない詐欺師で…しかし、全部ウソの
 作り話にしては出来すぎてるしな…天才詐欺師か…
 もし詐欺師だったとしたら、いったい何が目的なんだろう。
 オレも焼きが回ったな…、そう思っていたんだ」
とT社長がマジな顔で呟いた。
 
かれらの横では手荷物カウンターがクルクルと回っており、
一つだけ見慣れた旅行鞄が乗っていた。
 
あ、わたしのカバンだ!?
やっと状況が理解できた。
6.プジョール首相に謁見!(1985年4月23日)
空港に到着するや手荷物も受け取らないで姿を消した女を
「もしかしたら稀代の詐欺師」だと疑ったとしても仕方がない。
 
T社長は笑って
「ま、サンジョルディがたとえ無くても、あることにして
 日本でイベントをやるかって、話してたんだ」
と半ば本気でおそろしい事を口にする。
「ちょっと待ってよ、それこそ詐欺じゃない」と私。
誰もいない空港で、三人が大笑いした。
バルセロナで
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サンジョルディの当日、
カタルーニャ中で赤い薔薇の花と青い麦の穂が見事に装飾され、
祝祭でにぎわうバルセロナの人々は
老いも若きも本とバラを互いに交換しあっていた。
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正装したわれわれはセレモニーの後、約束どおり首相に謁見でき、
花屋の経営者でもある首相夫人に日本カタルーニャ友好親善協会の
名誉顧問就任の依頼も聞き入れられた。
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日本側としては、
バルセロナに友好親善協会の駐在事務所を置くことした。
ミロの親友がオーナーの店で
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さて、これからが正念場である。
とにかく翌年には「サンジョルデイの日」を
日本でスタートさせなければならない。
7.流石!プロの仕事師
スペインの空港でわたしを「詐欺師」と疑ったT社長だったが、
帰国後の八面六臂の大活躍振りには目を見張らされた。
社長の卓越した情報収集力と智略縦横な判断のもとで、
私も一緒に東奔西走した。
書店業界と生花業界、外務省や文部省その他の役所関係や行政、
そして経済界や文化人への働きかけ…など。
 
そのひとつひとつの場面で臨機応変にこなしていく能力は、
流石であった。
素晴らしい人々との出会いも会った。
数年分の修行をたった一年で体験できたような気がする。
 
翌年、日本ではじめての「サンジョルディの日」がスタートした。
全国7都市でフェスティバルが開催され、
TVではじめての日本~バルセロナの衛星中継が全国ネットで放映された。
 
しかし、白状すると、わたしは、サンジョルディの産みの親だが、
この新生児を育てなかった。薄情な母親である。
 
サンジョルディの日を、
ここまで育ててくれた“育ての父親”達がいたからこそ、
イベントとして根付いたに違いない。
 
そして無論、私の予見したとおり
‘92年オリンピックはバルセロナで開催された。
10年後の1996年、日本での功績が評価されて
4月23日を”世界本の日”として、ユネスコに指定された。
サン・ジョルディ 日本の25周年(2010.4.23)に続く

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