針のムシロに座る~帝王学の書~11月21日の易経一日一言 (3)

作成日:2010年11月24日

~帝王学の書~11月21日の『易経一日一言』(致知出版社)
☆針のムシロに座る☆
石に困(くる)しみ、?藜(しつり)に拠(よ)る。
その宮(きゅう)に入りて、その妻を見ず。
凶なり。            (沢水困)

固い大石に阻(はば)まれて苦しみ、
「?藜(しつり)に拠(よ)る」針のムシロに座する思いをすることもある。
また自分の家(宮)に帰ると、慰めてくれるはずの妻は逃げてしまっていない。
 
これらは大変な苦しみだが、苦しみに学ばない小人はますます困窮する。
大石を除こうとして苦しみ、わざわざ針のムシロに座り、
自分で自分の身を危うくしてしまう。
 
困窮にあって、そこから学ぼうとする姿勢が大切である。
~帝王学の書~11月22日の『易経一日一言』(致知出版社)より
☆過ちを繰り返さない☆
不善あればかつて知らずんばあらず。
これを知ればいまだかつてまた行わざるなり。
              (?辞下伝)

道をほぼ体得した者は、身に不善があれば必ず気づき、
気づいたら二度と不善を繰り返さない。
 
過ちを二度繰り返さない。
これを徹底して行うことは、道を極めたに近い。
~帝王学の書~11月23日の『易経一日一言』(致知出版社)より
☆霜を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)至る☆
霜を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)至る。
象(しょう)に曰く、霜を履(ふ)みて堅氷(けんぴょう)とは、
陰の始めて凝(こ)るなり。
その道を馴致(じゅんち)すれば、堅氷(けんぴょう)に至るなり。(坤為地)

晩秋の早朝、庭先に出ると薄っすらと霜が降りている。
今は微(かす)かな霜がこれから数か月経つと厚い氷になり、
気づいた時には身動きがとれなくなっている。
これが「霜を履みて堅氷至る」ということ。
悪習に親しむことの怖さを教えている。
企業の不祥事や犯罪は、たいてい「霜を履む」ことから始まる。
最初はいけないことだなと気づいても、些細なことなので、
「このくらいならいいだろう、大丈夫だろう。わからないだろう」と侮(あなど)る。
しかし、悪習にだんだん馴れ親しんでいくと、やがて厚みが増大し、取り返しのつかない大きな禍(わざわい)に至るのである。
 
恐ろしいのは、最初はいけないことという認識があっても、
馴れていくうちに意識に全くのぼらなくなって、
悪いことも善だと強弁するほどになること。
 
それゆえ、最初の霜の段階で対策を練らなければならない。
これは、企業倫理、教育など、すべてに通じる教訓である。
★「江守徹の朗読で楽しむ易経入門」
 第4弾『兆しを観る~風地観・火風鼎』
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 「見る」は目に見えるモノを見る。
 「観る」は、心の目で観る。
  洞察力で観る、の意。

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