これから東京へ、講演です。
終了後は西荻窪へ。
目的は、20年ぶりに再会する美女のライブです。
★ゆきさんに拉致されました~~
この広報写真は、昨年12月に撮影したもの。
【亞】をよく知る友人達からは「これ誰?」とか、
「ウソだろう?!」と、あまりの詐欺具合に
ブーイングされた一枚です。
(ふふふ…メイクのプロ&名カメラマンが頑張った結果なのじゃ)
★10日の夜の「SENDA電脳クラブ」の写真を
楽天仲間のpopboy さんが送ってくれました。
泉田事務所の泉田豊彦氏とは、1年ぶりです。
○秘の話がガンガン飛び交って、面白かった~(^^)
右から3人目が泉田さん
※泉田さんとのお付き合いも20年以上になりました。
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復刻版「手にとるようにわかる面白い易経」
※【亞】の玉手箱時代の復刻版です。
★“易占い”の解説ではありません★
【中国古典・易経】
4.兆しを察する能力
易占いというと、神秘的なイメージがありますが
易者は超能力や霊感ではなく
直観が求められる職業だと私は思っています。
易占いは依頼者から与えられた「あるテーマ」を占い
「ある方式」(易占いの場合は卦)を出します。
出てきた方式には何の答えもありませんが
そのテーマに照らし合わせたときに答えを得ます。
そして、答えから導き出す対処もふくめ
依頼者に正確に分かりやすく
かみくだいて伝えるのが、易者の役目です。
たとえば、手相では手の線や紋を
潜在意識(せんざいいしき)の現れとして観ますが
それらもまた何かを答えているわけではなく
現実的なテーマを与えられた時に
観るべきところを知り、答えを察するのです。
さて、「君子占わず」がこの日記のテーマですので
占いの話はご参考までとしましょう。
私たちに前もって時の変化を報せるのが兆しです。
前兆、予兆、前触れは、時の方向を示すシグナルです。
たとえば大事件や事故が起こった場合
その時点では突発的な出来事に見えますが
後になって、「あれが前兆だったのかもしれない」
という何かに気づくことがあります。
その時、気づいていれば大事に至らなかったことは
何かが変だ、いつもと違うと感じる程度の
ほんの些細な動きであったりします。
「禍(わざわい)を避ける」という意味で
易経がとくに論究しているのが、
「兆し」についてです。
未来察知ができて、はじめて対策を施し
禍を未然に防ぐことができます。
前兆、前触れを知って禍を避けるというと
悪い出来事についてだけを指すようですが
成長の兆し、飛躍の兆しという良い報せに気づけずに
タイミングを逃せば、いずれ同じ事です。
来るべき時の良し悪しによらず
それを察し得ないことが禍になるのです。
「時」の本流を見とおす洞察力が
兆しを察する能力につながります。
混沌(こんとん)とした時の変化の中にも必ず
春夏秋冬のような自然の摂理に則った
法則性があると易経は説いています。
では、法則性の中に兆しを観るのかといえば
そうではないでしょう。
なぜなら
兆しは混沌の中から発するからです。
ですから「時」を法則性でもって
整理整頓しようなどと思うのではなく
まず混沌とした時を
混沌のままに見つめる勇気のようなもの
が必要だと思います。
易経は占いの書ですので
「吉」「凶」という言葉が出てきます。
「凶」は悪い事が起きるというのではなく
ものごとが通じないという意味です。
恐怖感を抱きがちな言葉ですが
読み解いていくうちに
いたずらに恐れなくなります。
洞察力と、兆しを察する直観力は
どのように養われるのかは
易経の辞に記されていますので
内容をご紹介しながら
読み解いていくことにしましょう。
続く
~編集後記~
易経は中国最古の書で、四書五経のトップであり、
帝王学の書とされています。
時の専門書であり、自分のおかれている立場など、
出処進退に関する行動の指針となるべき法則やルールが
シンプルに著されています。
易経には、幾(き)という言葉が頻繁に出てきます。
幾とは物事が起こる時の兆(きざ)しです。
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