昔、我が家に仙人がいた~少女時代の思い出「仙人」シリーズ
~1.姿を消して改札口を通った…
(1983年名タイ寄稿)
最初にお断わりしておくが、私は決して
「エディプス・コンプレックス」ではない。
こう書いておかないと必ずと言っていいほど、
ほとんどの人は勘違いをするからだ。
父親のことを話す。
私は父親を少し変人であるとは思っていたが、
「普通の人」ではないなどと思ったことはなかった。
どこにでもいる父親だと思っていた。
その父親の知り合いもまた、私にとっては「普通の人」だった。
その普通の人の1人に「仙人」と呼ばれた人物がいる。
中学2年生の春、学校から家へ帰ると
その仙人はいた。
「食客(しょっかく)」、今でいう居候のことだが、
ふらっとやって来て5~6年滞在していた。
仙人が我が家を訪れたのは
「熊本の山奥で数理学を研究していたとき
夢の中にこの家がでてきたから」
という理由だった。
こんな胡散臭い話で居候させた父も父だ。
勿論、母は信用せず反対したのだが、
途中からは諦めてしまった。
仙人はある時、私にこう言った。
「自分は姿を消すことができる」
ウッソーと少女の私は素直に疑いの奇声を発した。
彼、仙人は私を連れて駅まで出かけた。
「見ておいで」というと、
切符も持たないで改札口をスタスタ…。
駅員は何も言わない、周囲のだれも
この「タダ乗り」行為をとがめない。
再び仙人は出札口から出てきた。
今度もまた、駅員は彼に何も言わない。
もしかしたら、
駅員には仙人の姿が見えないのか…。
続く (1983年名タイ寄稿)
大好きな平野遼の水彩画『歩く人』
我が家の玄関にいてくれる~❤