(昔我が家に仙人がいた~少女時代の思い出「仙人」~
好評だったのでもう少し詳しい内容で書いています)
少女時代の思い出「仙人」
駅員の体、目の動きが止まった…(1983年名タイ寄稿)
我が家の食客となっていた「仙人」は、
「姿を消すことができる」と豪語していた。
父親も、その言葉に異議を唱えはしなかったし、
私もまた、アプリオリに仙人の言葉を信じていた。
私は素直な性格だったから、仙人にぶしつけに質問した。
「ねえ、どうすれば姿を消すことができるの」
仙人は少女の素朴な質問に戸惑うことなく、
おうむ返しに即答した。
「じゃあ、一緒においで」
これほど簡潔な回答はない。
理論的に説明するのでなく、
現実に私に見せてくれるというのだ。
当時、我が家は名古屋市の東区で
事業を営んでいた。
季節は春。春といえば桜。
花見の時季であった。
父、母、姉、それから従業員を含めた10人の団体が、
最寄り駅のJR(当時は国鉄であったが)
千種駅から、中央線で鶴舞に向かった。
桜で有名な鶴舞公園を目指したのだ。
千種駅の改札口では駅員が
慣れた手さばきで、切符にハサミを入れていた。
カチャカチャとリズミカルな音と動作が心地良かった。
仙人を先頭に私たちの家族を中心とした10人が、
列をなしてその駅員の前を通過したとき、
駅員の動きが止まった。
これまで乗客が切符を差し出す手元に向けられていた
目の動きも停止した。
わたしは心配になって、
駅員の目の前で手のひらをひらひらさせた。
しかし、駅員の視線は定まることなく浮遊していた。
どうしたんだろう…???
わたしたちが通り過ぎると、
駅員は何事もなかったかのように、
再びリズミカルな動きを始めた。
鶴舞駅の出札口でも同じことが起こった。
「どうして、こんなことができるの」と、
わたしは仙人に尋ねた。
続く (2018年名タイ寄稿)
大好きな平野遼の水彩画『歩く人』
我が家の玄関にいてくれる~❤